春とホームシック

引っ越して1ヶ月が経った。

仕事にも少しずつ慣れてきて、自分の仕事がどういうものなのかなんとなく理解出来てきた。体温のないものを相手に、決められたミッションをひたすらクリアしていくことの何が面白いのかはまだ全然!全く!分からないけど、そもそも仕事に面白さを求めるのが間違いなのかもしれないなと思い始めている。そう考えると、これまで自分が就いてきた仕事は「すぐそこに相手がいて」「尚且つ成果が分かりやすく」「変化に富んでおり」「飽きない」人間相手の仕事をずっと選んできたことに気付く。基本的にやりたいことや興味があることじゃないと頑張れないと思って選んできた仕事だけど、自分って意外と人間が好きなのかもしれない。今の仕事に面白さが見出せていないので、この会社で働く人たちがどういう理由でこの会社を選び、何が楽しくて毎日仕事をしているのかが気になる。いつか聞いてみたい。

たくさんの人間が働くオフィスだけど、まだ自分の居場所を見つけられていない。所在なく迷子のような気持ちになり、胃薬のお世話になることも増えた。同じ部署の人たちとは、今のところ大きな問題もなくやっていけていると思うけれど、みんな陽キャで根本的にノリが合わない。こればっかりはどうしようもないのでとりあえずニコニコしてその場をやり過ごしているが、これが毎日となるとなかなかにしんどい。関係性がよく分からないけれど、他の部署の陰キャな男性を見下しているような様子も窺える。やだな。

陽キャってなんであんなに感情の上がり下がりが激しいんだろう。なんであんなに不機嫌を隠さないことが当たり前のように接してくるんだろう。それに気を揉んでいるこちらが馬鹿みたいだ。

 

少し早く帰れた日の夕闇迫る帰り道、疲れきって視線を落とした土手にぽつぽつとつくしが生えていることに気付いた。懐かしい姿に「わ!」と思わず声を上げてしまって、あわてて周りを見回した。会社の人がいないことを確認して、そっとしゃがんで摘みとった。手元にすっと真っ直ぐ伸びたつくし。春だ。つくしを摘むなんて何十年ぶりだろう。小学生の頃は毎日大量のつくしを摘んで帰るのが日課だったことを思い出す。さっきまであんなに沈んでいたのが嘘みたいに、誰もいない土手ではしゃいだ。上から見ると見つからないのに視線を落として横から見ると生えてるのがよく分かるんだよなあ!って大きめの独り言だって出てしまう。

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あの頃ほどは採れなかったけど、帰ってつくしの胡麻和えを作った。一人だから十分な量だ。子供の頃は頭にぎっしり花粉?が詰まったやつが苦くて苦手で、開ききった頭のやつばっかり食べてたっけ。今はどっちも食べられるけどやっぱり頭が開いたやつが好きかも。

 

引っ越してきてから、人様の車のナンバープレートを眺めるようになった。隣県なのにまだ地元のナンバープレートは見ていないのが更に寂しさを加速させている気はするが、同じマンションで「福岡」と「京都」を見かけて、思わず「お前らもか」という気持ちになっている。がんばろうな。私にお金があったら地元ナンバーの車をもう一台買って、近くの駐車場に停めておきたいくらいにはホームシックだ。